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【神社巡り2024年総集編】2024年に参拝したおすすめ神社5選!
2024年は仕事で4月まで石川県白山市に住んでいて5月に福井県坂井市に戻ってきました。 白山市にいた時は時間が結構あったので 能美市・白山市 を中心に神社巡りをしていたこともあり加賀の白山信仰や加賀における一向一揆と越前朝倉家との争いが今に残る神社の社伝に胸躍りました。あ...
o_kataka
3月19日
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【越前国での牛頭天王】栄枯盛衰が物語る八坂神社と御祭神・スサノオ
越前町天王の八坂神社は牛頭天王を祀っていた祇園天王宮。現在は経年劣化が激しい境内ですが神功皇后が創建し平家が崇敬しました。室町時代には真言宗応神寺が神宮寺として14坊を持つほど栄えました。明治時代の神仏分離令によって牛頭天王は御祭神。スサノオに変えられ衰退の道を歩みます。
o_kataka
2024年6月19日
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【北陸新幹線福井駅開通企画】福井駅から歩いて行ける神社5選!
北陸新幹線が敦賀まで開通。福井県では初めて新幹線が走りました。やっぱり歴史ファンに大きな声で伝えたい!福井駅は江戸期、金沢城の4倍ともいえる大きな福井城の城内に建設されているんだよ~って。そんな巨大な福井城周辺には数々の神社が祀られていて現在も福井のシンボル的な神社も多く存在して
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2024年5月3日
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八幡神社が越前国に広がった経緯と清和源氏との関係
全国でも一番多いといわれる八幡神社。この越前国(福井県)でも多くの八幡神社が鎮座しています。この八幡神社が浸透していった経緯に関係する清和源氏・源満仲や木曽義仲をフォーカス。さらに八幡神・応神天皇の母・神功皇后が住んだともいわれる敦賀市の筍飯宮は現在の気比神宮と言われます。
o_kataka
2023年8月31日
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佐々木小次郎との関係は?越前国が誇る最強剣士・富田勢源
なぜ、佐々木小次郎は越前国の一乗滝で剣を磨き秘剣・燕返しを編み出したのか?と思っている方も多いと思いますが、実は一乗滝のある福井市浄教寺町は幻の剣士・富田勢源が住んだ地であり現在も道場跡が残るなど越前朝倉家の剣術拠点であったことはあまり知られていません。最強と言われた富田勢源。
o_kataka
2023年8月12日
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越前松平家最大の黒歴史が眠る福井市の名勝・養浩館
越前松平家の別邸・養浩館は世界的にも認められた美しさある日本庭園です。実はこの養浩館には越前松平家最大の黒歴史といわれる永見騒動の現場でもあります。結城秀康の為に命を捧げながらも松平忠直に理不尽な要求をされた永見氏。忠直に媚びることなく自決の道を突き進む永見氏の想いを伝えます。
o_kataka
2023年6月25日
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加賀藩の経済改革!前田利常が福井藩を追い詰める!
加賀2代藩主・前田利常は名君として名高い。時に福井藩は2代・松平忠直の時代。大きく発展を遂げた加賀藩に対し福井藩は松平忠直の配流など厳しい時代が続いた。そんな中、当時は貴重な塩を利用した経済対策を行った前田利常。それによって福井藩はどんな影響を受けたのかを深堀り!
o_kataka
2023年5月28日
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藤島の地名由来(第16話)
藤島の地名由来、越前中央山地から流れ出る古九頭竜川は、現在の松岡町を過ぎたあたりから三角州を形成し氾濫湖沼地帯となった古九頭竜湖に流れ出ていた。その三角州地帯には島状微高地の中州が現在の「藤島町」から「高木町」辺り迄形成され、雑木林やその高木に纏わり成長する藤の木等も繁茂した。
泉州 閑爺
2023年3月20日
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平家落ち武者の話が残る廃村・福井市清水平町!桂観音清水が今も流れる!
廃村・福井市清水平町に伝わる平家落ち武者伝説。そして湧き出る清水に立派な観音様が立ち、まさに山間地域のオアシス。氷川神社の横にある村民の碑は住民たちの切な思いを感じられ廃村とは何かを考えさせられます。
o_kataka
2023年1月27日
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突如現れた福井城・下馬門!歴史保存が難しい福井の問題点!
2022年12月、福井駅前再開発工事中に現れた福井城下馬門の土橋。その石垣には笏谷石が使われ当時の様子を感じさせるものが多い。この後、この場所にはビルが建つ。もう2度と見れないかもしれないこの下馬門土橋。福井城の痕跡が消えていく複雑な福井の事情をまとめました。
o_kataka
2023年1月24日
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継体天皇の伝説は本当か?裏で操る足羽神社の罪
享保2年(17171年)にまとめられた『足羽社記略』。この本は現在も続く数々の継体天皇の話が書かれていますが、それは真実なのかは大きく疑問が残ります。越前国と継体天皇の真実はどこに?その話ホントですか?
o_kataka
2022年12月10日
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六地蔵 6体のお地蔵様が並ぶ意味は?天明と天保の大飢饉
福井県には多くの六地蔵があります。調べていくと天明の大飢饉、天保の大飢饉の供養として建てられたものが多いように感じましたが、すべての六地蔵がそうではありません。なぜそこに六地蔵があるか深堀していきます!
o_kataka
2022年11月11日
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福井各地に残る葵の御紋は越前松平家の足跡!
越前を260年治めた越前松平家。その思いや関係からたくさんの葵の御紋が今でも見られます。葵の御紋を深堀することでその地域と松平家の関係も分かってきます!葵の御紋からみた名門・越前松平家ゆかりの寺社仏閣をご紹介!
o_kataka
2022年10月3日
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南朝方の心の支えとなった藤原藤房 福井市大丹生町
建武の新政とは鎌倉幕府の滅亡と南北朝時代という新しい争いの火種を生み鎌倉幕府滅亡後の主導権争いが始まったと言えます。そんな南北朝時代にこの越前では南朝と北朝の激戦が繰り広げられたことは新田義貞が福井の地で亡くなったことからもその熾烈さは十分に伝わります。...
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2022年7月10日
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採掘所跡が残る!岩谷不動院&荒れた天正年間を鎮めた永源寺の道芸 福井市上野町
丹生山地の北側に位置する福井市上野地区。昭和40年頃まで採掘所がありここで採掘された石は上野石と呼ばれ石碑、地蔵、墓などが作られた。その跡が今も残り独特の雰囲気を醸し出しています! この写真のような採掘場は間歩(まほ)と呼ばれ地元の看板や記録によると10の間歩があり30人の...
o_kataka
2022年4月14日
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新光寺城・増井甚内の一向一揆への思いと山岳信仰 福井市片山地区
小谷山に今も残る山岳信仰・蔵王権現を祀る蔵王神社 曽我兄弟の話が伝わる片山おべろこ谷五輪塔 一向一揆と戦い散っていった新光寺城城主・増井氏 1.小谷山に今も残る山岳信仰•蔵王権現を祀る蔵王神社 伝説の呪術者・役行者が山岳仏教・修験道の祖ともいわれます。飛鳥時代の実在する人物...
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2022年3月3日
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朝倉の名を冠する山にある城『朝倉山城』朝倉景連
福井市深坂町にある朝倉山。越前海岸に近く棗庄(なつめのしょう)の一部でその山の頂上には朝倉山城があったといわれている。麓には日吉神社がありその横に山頂への登山道が整備されている。この城の城主は朝倉景連(あさくらかげつら)。その名前からもわかるよう越前朝倉家一門のひとりで奉行...
o_kataka
2021年9月22日
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木曽義仲が白山平泉寺に贈った藤島七郷の意味
加賀・篠原の戦いで勝利した木曽義仲は京を目指し越前国に進軍しました。 寿永2年(1183年)6月1日に起きた篠原の戦い。その後、6月末には比叡山延暦寺との交渉を行っているのでこの越前国をスムーズに1か月もかからず通り抜けたことになっています。...
o_kataka
2021年9月1日
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越前松平家の誕生!結城秀康はなぜ越前へ来たのか?
関ヶ原の戦いのあと越前68万石を拝領された結城秀康。徳川家康はなぜ結城秀康にこの越前国を与えたのか?関ケ原の戦い後の徳川家康の疑念。もっとも恐れたシナリオが前田家と豊臣家、そして朝廷が手を結ぶこと。それぞれ徳川家康が信頼する武将を置き監視徹底することを考えました。
o_kataka
2021年6月7日
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