645年の大化の改新。それは藤原氏の始祖・中臣鎌足と中大兄皇子(のちの天智天皇)などが当時、天皇をしのぐ権力を持つ蘇我氏の蘇我入鹿を暗殺しその権力を天皇のもとに戻した改革。中大兄皇子を助け大化の改新に尽くした中臣鎌足は天皇より藤原の姓をいただき藤原鎌足と呼ばれる。そして跡を継いだ次男・不比等は藤原不比等となる。この藤原不比等の子孫が藤原一族となり勢力を伸ばしていくことになります。
藤原不比等が創建した興福寺。国宝・五重塔など当時の藤原氏の力が現代にも残る。国の繫栄と共に藤原氏も絶大な力を持ったことがわかります!
なぜ?藤原氏は春日神社を建てたのか?
春日神社の象徴!?父神と母神の意味
藤原氏の血を引き継ぐ越前斎藤氏の登場
1、なぜ?藤原氏は春日神社を建てたのか??
春日神社の御祭神はアメノコヤネ(天児屋根命)。アメノコヤネは古事記ではアマテラスの岩戸隠れのお話で登場します。暴れるスサノオに困ったアマテラスが洞窟のような岩戸に隠れてしまうお話です。ここでアメノコヤネは隠れたアマテラスに問いかけ祈りを捧げたといわれそのことから言霊の神と言われます。そんなアメノコヤネは藤原氏の祖先と考えられていてその後の藤原氏が治めた荘園では春日神社が祀られていることが多いです。
興福寺から徒歩20分ほど参道を歩くと春日大社に着きます。道路を挟みますがその大きな敷地は奈良公園として現在もその一部が残っています。
北国荘園の管理運営は奈良・興福寺が行っていました。この興福寺は藤原氏の氏寺であり、春日神社は藤原氏のご先祖を祀る神社です。そして、この2つは神仏習合の時代には同一と考えられ春日神社を建立し春日明神(アメノコヤネなど)を崇め興福寺が管理する構造になっています。その為、北国荘園には多くの春日神社が建立されることになり現在でも坂井市・あわら市には多くの春日神社が残り、近年、神社の名前が変わっても御祭神にはアメノコヤネを祀る神社多くあります。現在も残る当時の藤原氏の絶大な力の象徴が春日神社だということです。
2、春日神社の象徴!?父神と母神の意味
北国荘園・河口庄は10の郷に分けられそれぞれに春日神社を祀りその春日神社を中心に町づくりが行われました。この10の春日神社を十郷十社といわれ現在も春日神社としてアメノコヤネを祀っています。(一部、名称が変わっている神社もあります。)
その中でも父神とされるのがあわら市の本荘春日神社です。この春日神社は十郷のひとつ本荘郷(資料によっては本庄とも呼ばれています。)の鎮守・守護だけでなく春日神社十郷十社の総鎮守とされ祭礼には春日神社十社の神輿がここに集まったとされます。また隣接する新郷には御前神社があり名称は違いますがアメノコヤネを祀り春日神社十郷十社の母神とされます。
もとは式内社・井口神社。この地域は寺社仏閣が多く越前国の歴史にたびたび登場する本荘地区。御前神社も式内社でその歴史は古いことが分かる。
なぜ、このあわら市本荘地区が北国荘園・河口庄の中心となったのか?
これは継体天皇の時代を考えるとスムーズに入ってきます。藤原氏より昔、継体天皇の時代、この坂井平野を開拓・管理したのは継体天皇の一族と考えられます。その継体天皇の拠点とされその住まいがあったとされるのがこの本荘春日神社です。本荘春日神社はもともと式内社・井口神社であり現在も春日神社と一緒に祀られています。つまり、本荘春日神社はその昔より地域の有力者が拠点としその関係から継体天皇が開拓し藤原氏が引き続き開拓・管理したと考えます。ここに河口庄の中心として父神とし隣の新郷地区に河口庄を管理する藤原氏の妻子又は母親などを住まわせたと考えます。本荘郷に次ぐ規模の兵庫郷には継体天皇の幼くして亡くなった鶴姫の話、大味郷はもともと王見郷と言われ王に会える屋敷があったといわれ越前の北国荘園は継体天皇の土台があったことから成り立つと思います。
3、藤原氏の血を引き継ぐ越前斎藤氏の登場
武士の時代になると藤原氏は細分化されていきます。その中で越前で力を伸ばしたのは斎藤氏です。
平安時代前期、越前を支配していた藤原利仁の次男・藤原叙用(ふじわらのぶもち)が斎宮頭を務めていたことから斎藤氏となります。斎宮とはアマテラスのお世話をする聖なる女性がいるところでイメージとしては巫女さんのような感じで伊勢神宮に仕え、地域豪族などから選出されさらに占いなどで選ばれた高貴な未婚女性。
その斎藤氏からさらに細分化されたのが竹田氏・宇田氏・疋田氏、千田氏、熊坂氏などです。これを聞くと地元の方なら気づくと思いますが現在の地名に多く残っていて聞きなれてるということ。坂井市丸岡町には竹田地区、宇田地区、千田地区があり、あわら市には疋田地区、熊坂地区があります。
またのちに越前朝倉家に仕えた堀江氏も藤原の血を受け継ぐ一族。そう考えると西暦900年頃から始まった藤原家の河口庄の支配は戦国時代も続いていてその間約600年の間、藤原家の血はあわら市を中心に受け継がれていたと考えるとそのすごさを感じます!
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