勝山市にある白山平泉寺は巨大な宗教施設でもあり要塞のような大きな基地とも言え現在でも発掘調査は続けられている越前を代表する寺社仏閣のひとつです。白山平泉寺は苔が有名ですが同じく石畳や石垣などもありその巨大な跡は当時の白山平泉寺の影響力の大きさを物語っています。
一向一揆の焼き討ちにも耐えた若宮八幡宮の大杉
当時の様子が分かる!石垣や石畳が続く南谷坊院エリア
石を積み上げた石垣が多く残る勝山市平泉寺地区
1,一向一揆の焼き討ちにも耐えた若宮八幡宮の大杉
白山平泉寺の南側に位置する南谷坊院跡エリア。目印は若宮神社(若宮八幡宮)。若宮神社の祠の前にある巨大な大杉は一向一揆による焼き討ちの際にも生き残った杉の木と言われ現在もその存在感は圧倒的です!
2,当時の様子が分かる!石垣や石畳が続く南谷坊院エリア
若宮八幡宮の道を挟んだ向かいにある南谷坊院跡エリア。南谷は3600坊、北谷で2400坊。白山平泉寺では6000坊ともいわれています。この白山平泉寺最大の南谷坊院エリアは山城ファンや城郭ファンにはたまらない土塁や空堀が見られます。その土塁の前の道も石畳となっていて当時、ここまで繊細に壮大な造りのものが現在もこのような形で残っているのは凄いことで胸が高鳴ります。
養老元年(717年)に泰澄大師によって開かれた白山平泉寺も戦国時代に入ると全山武装化されまさに巨大な要塞のようになっていたことが分かります。僧兵8000人を抱えていたともいわれ、神社境内の神秘的な雰囲気は一変、要塞としての白山平泉寺が見えてきます。
3,石を積み上げた石垣が多く残る勝山市平泉寺地区
南谷坊院エリアの近くにある神明神社。
石垣のように石を積み上げその上に拝殿を建てている。豊富な石や岩をうまく建物に利用している。この神明神社は場所的に白山平泉寺の境内、又は白山平泉寺の領内にあったと考えていいと思います。
南谷坊院跡エリアの前方付近には岩を取りあったといわれる岩壁があり現在でもその取り合った様子が感じられるような岩や石がそのままになっています。
この勝山市白山地区の街並みには石を積んだ用水や壁が至る所にあります。写真は南大門跡付近。
泰澄大師廟(泰澄大師の供養塔)、境内社の貴船神社、稲荷神社。
境内にある神社の前には必ずと言っていいほど石が置かれ豊富な石を使ったまさに石の芸術ともいえ、一つとして同じものはありません!
是非、白山平泉寺を参拝の際は参道向かって右手の勝山市平泉寺地区とその奥の南谷坊院跡エリアをぐるっと見てみてください!狭い道ですが一応、車でも巡回できます!
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