2024年3月16日に北陸新幹線が敦賀まで開通。福井県では初めて新幹線が走りました。それに合わせて福井駅周辺では再開発と人気の恐竜推しが凄く、至る所に恐竜のモニュメントが作られました。
しかし、やっぱり歴史ファンに大きな声で伝えたい!その新幹線の到着する福井駅は江戸期、金沢城の4倍ともいえる大きな福井城の城内に建設されているんだよ~って。現在の福井駅東口を出たあたりに桜木門があったとされ福井駅がすっぽりそのまま城内の一部だったのです。現在の本丸付近から考えるとここまで福井城だったのかと大きさを感じさせてくれます。そんな巨大な福井城周辺には数々の神社が祀られていて現在も福井のシンボル的な神社も多く存在しています。ここで福井駅周辺の神社をピックアップ!是非、新幹線で福井駅に来たらお散歩気分で神社を参拝していただきたいと思います。
1、大河ドラマでは涙のシーン!お市の方と浅井三姉妹のお別れの地・柴田神社
【福井駅西口から徒歩7分】
福井駅西口を出て徒歩7分。北の庄通りを歩くとビルの合間に鳥居が出現。そこを進んでいくと右手に浅井三姉妹とお市の方の像があり境内のど真ん中に堂々と座る柴田勝家の像があります。
この柴田神社は北の庄城跡に鎮座していて当時の石垣が今も残っています。賤ヶ岳の戦いに敗れた柴田勝家は最後、ここ柴田神社の場所にあった北の庄城にこもり南側の足羽川をはさみ豊臣秀吉と対峙しました。結果はご存じの通り柴田勝家は燃え盛る北の庄城と共に自害しました。地域の人々が遺徳を偲び御霊を慰めようと小祠を建てて祀ったのが始まりです。
北の庄城が燃え盛る中お市の方と3人の娘・浅井三姉妹との別れのシーンは戦国時代を題材にした大河ドラマでは必ずと言っていいほどお涙頂戴!!のシーン。あのシーンはここ柴田神社であったお話という事になります。戦国時代とはいえ娘を置いてあの世へ行った母・お市36歳、娘たちの年齢は茶々16歳、初14歳、江12歳前後と思春期の多感な時に起きた壮絶な出来事はその後の3姉妹の運命をも数奇なものにさせます。
その後、福井藩主を始め藩士の間でも参詣され明治に入ると神社として正式に認められた。戦国時代に興味のある方なら必ず行ってほしい神社です!
2、徳川家康の流れを持つ福井藩が誇る越前東照宮こと佐佳枝廼社(さかえのやしろ)
【福井駅西口から徒歩11分】
寛永5年(1628年)に福井城内に徳川家康(東照宮権現)を祀ったことが始まりとされます。
徳川家康の次男でもあり、将軍・徳川秀忠の兄でもある結城秀康が開いた福井藩(越前藩)。親藩・御家門の家格でありながら将軍にはなれない特異な福井藩は薄れゆく徳川家康との血筋と将軍家への忠誠をこの神社によって大きく示した福井藩にとっては特別な神社のひとつでもあります。
福井駅から福井城のお堀の横を通りこの佐佳枝廼社へ、その先のフェニックス通り(別名・大名町通り)はお堀を埋め立てて造られた道でもあるので当時の福井城をなんとなく感じることができます。そのフェニックス通りを超えると片町という夜の繁華街が広がります。そして、夜の繁華街に近いこの佐佳枝廼社は夜でも明るく光り輝く拝殿はインスタ映えするスポットにもなっています。沢山の千羽鶴はコロナによって混乱した世の中の収束を祈り作られたものです。
佐佳枝廼社(さかえのやしろ)という名前は幕末の福井藩主・松平慶永(春嶽)が命名したもので福井の繁栄を願って付けられたと言われます。松平慶永は名前を付けるのが好きなのかな?もちろんそれだけ博学多才だったと思いますが、元号の明治の名付け親でもあります。佐佳枝廼社は江戸期以降の福井を象徴する神社のひとつと言えます。
3,幕末福井の想いを集めた福井神社のモダンなコンクリート建築
【福井駅西口から徒歩11分】
佐佳枝廼社を北に向かうと大きな広場・中央公園があります。福井城のお堀や石垣も見えて景観いいこの公園を北に向かうと福井神社が見えます。
福井神社は幕末福井藩主・松平慶永(松平春嶽)を祀った神社。日本最後の別格官幣社の指定となった神社で昭和18年(1943年)に創建されました。
別格官幣社とは国家の為に功績を挙げた忠臣を祭神として祀った神社で、日本神話を基にして造られた古来日本の神社とは違い、明治以降の日本を象徴する神社と言えます。昭和18年(1943年)といえば太平洋戦争真っ只中。そんな戦時中の日本で創建された福井神社。当時の日本政府の思惑がありそうな神社です。先の見えない世界大戦の中、王政復古の大号令によって新しい時代が始まり戦争に突入してしまった日本。その道を開いてくれた松平慶永を祀ることで戦争に突入した日本の進む道は間違いないんだと確認するかのような創建です。もちろん、松平慶永が思い描いた日本ではなかったと私は思います。
そんな時代の中、当然、この神社も戦争の渦に巻き込まれます。福井空襲で福井の街は焼け野原となり福井神社も焼失します。戦後、昭和32年(1957年)に再建。福井大学によってデザインされた福井神社は当時としては最先端をいく総コンクリート造りの神社。独特のデザインの鳥居などモダンな神社に変貌しました。昔ながらの神社の風景ではなくなりましたが明治~昭和までの日本を表すような独特の雰囲気の境内になっています。本殿横に松平慶永の銅像もあるので合わせて楽しめる神社です。
4,結城秀康が国家安泰の為に下総国から越前に移した火産霊神社
【福井駅東口から徒歩7分】
福井駅東口を出て右手に進むと城の橋通り(県道5号線)に出るのでそれを左手(東)へ向かうと車道左側に火産霊神社の石柱が見えます。
結城秀康が越前に来る以前は下総国(しもうさのくに)を治めていました。その時に国家安泰の願いを込めて秋葉山(現在の静岡県)から勧請し下総国に創建した秋葉神社を越前国へ移封した際にさらにそこから越前国へ遷座(移動させて鎮座させること)させた結城秀康の思いのこもった神社。
火産霊(ほむすび)と呼ばれ火の神・カグツチの別名と言われています。旧・秋葉神社と石柱に刻まれています。秋葉神社は神仏習合色の強い秋葉大権現を祀っていましたが明治時代の神仏分離令によってカグツチに統一されたと考えられます。そして名称を秋葉神社から火産霊神社に改称しました。
火の神・カグツチを祀ることで火事などを防止する防火や防災の神として結城秀康は越前国に火事や災害が起こらないように越前国の守り神として火産霊神社を祀りました。
神社の神紋には徳川家の葵の御紋が使われています。手水舎にはオオカミの石像があり秋葉神社が崇高する秋葉山がある東海地方に見られるオオカミ信仰がこの福井で見られるのあまり見ない境内です。
結城秀康がこの越前国を治めるにあたり防災の気持ちを持ち国家安泰を願ったその想いが秋葉神社遷座という形に現れています。
5,サルタヒコとアメノウズメの夫婦神に会える杉杜白髭神社
【福井駅東口から徒歩13分】
城の橋通りをさらに東へと進むと道の右側に見えてくるのが杉杜白髭神社です。
福井駅周辺にある神社の中では特に歴史のある神社で式内社でもある杉杜白髭神社。杉の杜と呼ばれる由縁となった杉が生い茂る福井平野に鎮座する神社で、現在の福井市中心部では考えられないですが当時は杉の木が多く茂っていたことがわかります。杉の森と足羽川に囲まれた場所に北ノ庄城がありその東にこの杉杜白髭神社があったと考えると中世の福井市中心部がいろいろと思い描けます。
御祭神はサルタヒコ。導きの神ともいわれ天狗のモデルにもなったと言われています。さらにこの神社にはアメノウズメを祀った境内社があります。アメノウズメは日本神話で、胸を出しセクシーに踊りたくさんの神々を魅了させたため芸能の神ともいわれています。そしてサルタヒコとは夫婦と考えられることもあり夫婦神としても崇められます。
現在はきれいに整備され杉の杜のイメージもありません。季節に合わせた手水舎や時期に合わせた御朱印が魅力的な神社で、私もサルタヒコとアメノウズメが描かれた御朱印が出た時は思わず参拝しに行きました。御朱印好きの方はぜひ、福井駅に来た際にここの神社の御朱印をいただくのがおすすめです!
福井県は恐竜や越前ガニばかり注目されますが、歴史も面白い地域です。特に福井駅は歩いて行ける範囲でも神社や福井城や銅像も多くあるので歴史ある福井駅前をぜひ、探索していただきたいです!
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