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あわら市の神社徹底深堀!あわら市で祀られている神様の傾向を分析!


あわら市の神社徹底深掘り!あわら市で祀られている神様の傾向を分析!

 あわら市の神社を全参拝が終わりデータをこのホームページに登録しいろいろ見ていました。あわら市ならではの特徴や珍しい神社などをここでピックアップし、マニアックな視点からあわら市の神社を分析しました。

 

1、加賀の白山比咩大神・キクリヒメを祀る越前の白山神社

2、絶大な勢力を持った藤原氏を今に伝える春日神社

3,そのほかの気になる御祭神をチェック!

 

1,加賀の白山比咩大神・キクリヒメを祀る越前の白山神社


 あわら市には103の神社が鎮座し境内社は57あり全部で160社の神社が鎮座しています。これは不死鳥の如く越前国で確認できた神社の数です。その内訳を上位のみ表にしました。


神社名称

割合

1

八幡神社

25

15.6%

2

春日神社

24

15.0%

3

白山神社

18

11.2%

4

神明神社

16

10.0%

5

天満神社

6

3.7%


稲荷神社

6

3.7%

 神社の名称だけでは合祀されて名称が消えた神社もあるので御祭神別に表にしました。


信仰別

割合

御祭神の種類

1

白山系

35

21.8%

イザナミ、イザナギ、キクリヒメなど

2

八幡系

32

20.0%

応神天皇、神功皇后、比咩大神など

3

春日系

30

18.7%

アメノコヤネ

4

神明系

19

11.8%

アマテラス、オオヒルメノムチなど

5

稲荷系

11

6.8%

ウカノミタマ、ウケモチノカミ


あわら市牛ノ谷の白山神社には明治天皇を祀っている。
あわら市牛ノ谷の白山神社

 一番多く祀られているのは白山系の御祭神でイザナミ・イザナギを祀る神社が20%を超えます。その中でも特徴的な神社があわら市牛ノ谷の白山神社です。ここはキクリヒメ(ククリヒメ)を祀っています。実は福井では白山比咩大神はイザナミを表すことがほとんどで白山越前馬場の白山平泉寺でもキクリヒメを祀らずイザナミを祀っています。白山加賀馬場の白山比咩神社ではキクリヒメを祀っていて越前と加賀の白山信仰は大きく違うと言っても過言ではありません


 あわら市に18以上の白山系の神社が鎮座している中、キクリヒメを祀る神社は3社のみです。その中でキクリヒメを祀る牛ノ谷の白山神社郷土史にはその理由ではないかと考えられる内容の記述があります。


 朝倉始末記には『 天文3年(1534年)越前へ下った加賀の浪人たちが牛ノ谷を陣所として加賀へ向かったとあります。』つまり、加賀の浪人たちが牛ノ谷に陣を置き加賀国へ侵入したことになります。あわら市の旧・金津地区を治めていた朝倉家の家臣・溝江氏は一向一揆によって加賀国を追い出された富樫氏をかくまっていました。その為、あわら市の加賀の浪人は富樫氏の残党と考えられ、牛ノ谷に陣を置き朝倉方と一緒に加賀へ向かい一向一揆に奪われた加賀国を取り戻しに行ったと考えるのは自然な流れです。そして、あわら市に残るキクリヒメの御祭神はこの富樫氏やその家臣たちが越前へ逃れ住み着いた際に祀られたと考えると話がスムーズになります


 さらに牛ノ谷の白山神社にはもうひとつ特徴があります。それはあわら市では唯一、明治天皇を祀っている事です。これは明治天皇の北陸巡幸の際に越前から加賀へ向かう牛ノ谷峠を掘り下げ国道を整備したことに由来します。これは現在の国道8号線です。つまり明治天皇を祀ったのは、北陸巡幸でこの牛ノ谷を通ったことに由来します。

 

2、継体天皇時代の古代豪族時代から藤原氏へと移り変わる春日神社


 あわら市には5社の式内社があります。その5社すべてに藤原氏のご先祖と伝わるアメノコヤネ(天児屋命)が祀られています。式内社とは延喜式神名帳という延喜5年(927年)にまとめられた全国の神社の資料。ここに掲載されている神社は律令制以前、地方豪族などがそれぞれの神社・信仰をもって地域を治めていましたがこれを大和朝廷が制度化し延喜式神名帳にまとめ記したと考えられます。


あわら市中番の本荘春日神社
あわら市中番の本荘春日神社

 これをあわら市で考え当てはめていきます。本荘春日神社(あわら市中番)は式内社・井口神社と言われていて現在も境内社に井口神社が鎮座します。井口とは現代風にいうと河口となります。井口神社の近くには竹田川が流れていて西に流れると兵庫川、九頭竜川へと繋がります。当時は海面が高く河口はもっと奥のここ本荘春日神社に近かったのではないでしょうか?井口神社には継体天皇が住んでいたともされる地で水路を切り開いた継体天皇がこの地に滞在することは地理的にも利便性があり都合がよかったように感じます。そして、ここ井口神社には継体天皇を支える豪族がいたと考えます。なぜなら竹田川や九頭竜川の流れを整える治水を行うことはことは一人二人でできることではなく沢山の人の力が必要となります。当時、継体天皇が坂井平野の水を海に流し人々が生活できる地域にしたことは坂井平野に沢山の継体天皇を支持する豪族がいたことは間違いありません。


あわら市中番の本荘春日神社の石柱
表には春日神社、横には井口神社の文字が刻まれている。

 しかし、平安時代に入ると急速に藤原氏の力が強まりこの坂井平野にも藤原氏の荘園河口荘ができます。藤原氏の勢力は立地的に利便性が高い井口神社などの式内社を利用しそこに藤原氏のご先祖・アメノコヤネを祀りそれまでの神々と一緒に祀ったと考えられます。あわら市の式内社5社すべてにアメノコヤネが祀られていることは継体天皇時代に坂井平野の要所として利用されていた式内社をそのまま河口荘の要所として利用したと考えられます。


6世紀前後の継体天皇の勢力から平安時代の藤原氏の勢力への移り変わりはあわら市の式内社で確認することができます。



 

3,そのほかの気になる御祭神をチェック!

あわら市下金屋の八幡神社入り口の獅子

 福井県の神社庁のホームページにはあわら市下金屋の八幡神社の境内社に舎人公神社があると記載されています。実際に参拝したときに境内社らしきものはありませんでしたが、この舎人はトネリと呼ばれ奈良時代以降の朝廷の役職のひとつです。このような律令制時代の役職名が残ることはまれにあります。坂井市坂井町河和田の白山神社の境内には按察使神社があり按察使(あぜち)も舎人と同じような時代の役職でもあります。古墳時代から奈良時代の律令制時代には国家をうまくまとめるため数々の役職が出来ました。そしてこの越前国、このあわら市でもその支配下にあり役職を任じられた人がここあわら市下金屋に来たことが分かります。



あわら市の金龍神社と思われる社


 あわら市番田、細呂木には境内社に金龍神社を祀っています。御祭神は金龍大神とあり詳細は分かりませんが、金龍神社は後醍醐天皇との関係が深い神社とされています後醍醐天皇といえば南北朝時代の南朝方のシンボル的な天皇。南朝方・新田義貞の終焉の地・越前。南北朝の最後の戦いが行われた越前にこの神社はなぜか意味深な感じです。

 写真はあわら市番田の八幡神社境内にある金龍神社と思われる神社。


あわら市堀江十楽の神明神社鳥居
クニノトコタチを祀るあわら市堀江十楽の神明神社

 最後にクニノトコタチなどの神世七代と呼ばれる根源神。これはイザナミとイザナギが日本の島々と神々を生みましたがそれ以前に天を造り地を造った神世七代と呼ばれる神様のひとり。古事記ではアメノトコタチ(天之常立神)が天を造り、クニノトコタチ(国之常立神)が地を造ったとされこの世界を造った根源神とされる。あまり見かけない神様ですがここあわら市には4社の神社に祀られています。さらにあわら市舟津の春日神社に祀られている家津大神はこのクニノトコタチと同一視する説もあります。さらにあわら市重義の神明神社にはクニサツチ(国狭槌)という神様を祀っているのも興味深い。日本書紀ではクニノトコタチの次に登場するクニサツチ。特段の記述はなく次のトヨクモノ(豊雲野神)へと時代が変わる。古事記にはクニサツチは登場しない。チラッとしか名前が出てこないこの神世七代の話は日本神話の序章という事でイザナミ・イザナギ登場までの経緯を簡単に説明している際に登場する神様です。そしてイザナミ・イザナギの登場で本格的な日本神話の話が始まり神世七代の話は終わっていきます。つまり、日本神話が始まる理由の中で登場する神々。これをクニサツチを含めクニノトコタチを5社も祀っているのは珍しいです。あわら市の3~4倍以上神社のある福井市ではクニノトコタチは1社、クニサツキは1社と2社のみ。あわら市での神世七代の割合はかなり高いです。


■クニノトコタチ(国之常立神)を祀る神社 堀江十楽の神明神社伊井の春日神社牛山の神明神社横垣の神明神社

■クニサツチ(国狭槌尊)を祀る神社 重義の神明神社

■ケツオオカミ(家津大神)を祀る神社 舟津の春日神社

 

 あわら市の境内社を含んだ160社。とても興味深い神社がどんどん出てきます。まだまだ知らないことも多く今後もいろいろなことが分かったり気づいたりするでしょうが永遠にわからないことも多くあるのも事実です。日本神話と郷土史の奥深さを感じます。

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