鹿が導いた水路として伝わる十郷用水。十郷とは10の地域を指し、その10の地域にはそれぞれその地域を束ねる郷社として春日神社が鎮座している。これを十郷十社といい現在もすべての神社が現存しています。
1011年、越前国の押領使(おうりょうし)というこの地域の治安などを行っていた斎藤民部少輔伊傳河北という方が田畑の水路が枯れていることを危惧しあわら市本荘の井口神社に祈願したところ夢枕に鹿が出てきて水源と水路の方向を教えてくれるという話です。(注:地域で話の内容は少し違います。)その為、境内社に井口神社をおくあわら市本荘の春日神社を十郷十社の中でも特に重要視され父神とされました。そしてこの十郷をまとめて河口荘と呼ばれ北国荘園の中でも最大規模の荘園とされ藤原氏繁栄に大きく貢献しました。
あわら市本荘の春日神社はもともと式内社・井口神社であり現在も石柱には郷社・春日神社の側面に式内・井口神社が刻まれていて春日神社拝殿の向かって右手には祠がありこれが現在の井口神社とされています。※写真はあわら市本荘の春日神社のパノラマ写真※
北国荘園・河口荘は奈良の興福寺が治めていました。この興福寺は藤原氏のお寺でもあり間接的に藤原氏の荘園のひとつでした。春日神社は藤原氏の氏神でもあり同じ奈良県奈良市に総本社がありその実権は興福寺が握っていたといわれています。
つまり越前国坂井郡河口荘は藤原氏の領地ですが、興福寺が地域を治め、春日神社の神の名を利用し人々を導いたと考えられます。
当時、水の確保はとても大切なことで水争いも越前国では隣村同士や川上川下で多く発生していました。それを春日の神様から水の恵みをいただいていると考えればなかなか文句も言えません。
この十郷十社は天正年間の織田信長の越前侵攻の際にほぼすべての神社が焼き払われました。そのため当時の書類などは何ひとつ残っておらずなかなか知ることはできません。
現在、わかる範囲だけでも後世に残していきたいです!
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