紀元前約2万年前に福井平野を流れる河川は、あたかもアリゾナのグランドキャニオンの如きに、山間部では急峻で深い渓谷を、平野部では大きな比高の河岸段丘を、また、河口部では広大な氾濫原を形成し日本海に流れ込んでいたとサバ読みできるのである。
1. 紀元前約2万年前の最終氷期時代の鯖波地区を流れる古日野川は、現在の標高80mレベルから約▲120m以上に深く落ち込んだ急峻なV字峡谷の仮称「鯖波峡谷」を形成していた。(図①)
そして、越前市以北の古日野川は、支流の古浅水川や古鞍谷川と合流しながら、夫々の河川が比高約40m~70mの河岸段丘を形成し、本流狭窄部の「江守」を過ぎてから足羽川と九頭竜川に合流し、広大な氾濫原を形成して日本海に流れ込んでいたとサバ読み比定できる。
因みに、現在の勝山市は、九頭竜川の河岸段丘に位置していて、段丘上部面と九頭竜川水位面との比高は約▲82m、段丘幅は約2kmの断面地形を形成している。(図③)
この場所の約2万年前の河岸段丘高低は、現在の高低差を遙かに超えた比高▲150m以上の深いV字峡谷であったと推定できる。
2. 約19千年前より始まった縄文海進は、約6000年前頃のピーク時には、海水面が約
120m~140m程上昇したと言われる。
これに伴い九頭竜川・足羽川・日野川が合流し形成していた北部の大渓谷や氾濫原(現福井平野)には、海水が流入し「古九頭竜湾」を形成すると共に、南部の鯖武地区の日野川本流の河岸段丘部と鯖波峡谷にも、海水が流入し、最深部水深約40~70mの“溺れ谷”である鯖入江と、その奥には北欧のフィヨルドの如き「鯖波峡湾」を形成していたと比定できる。(図②)
3. 右図④参照。地元関係機関による近年の実測結果では、鯖波地区日野川河床に於ける浸食土砂堆積量は、年間4~10cmの川底堆積厚と。 約半分に割引いた仮設定値「年間2cmの堆積厚さ」を基準に、単純に検証試算すると、縄文海進のピーク時の鯖波峡湾の海底に、約2000年間で浸食土砂が約40m堆積した結果、海底は地上に現れ陸地化、その陸地化した谷低平野に、更に浸食土砂が約4000年間で約80m堆積し現在の鯖波の標高レベルに達したことになる。
単純試算ではあるが、現標高80mの鯖波地区は、浸食土砂の堆積により、今から約4000年前に陸地化、鯖波から、約5km北に下った現標高58mの上平吹縄文遺跡付近では約2900年前、現標高47mの白崎・王子保地区は約2350年前に、それぞれ順次標高0mレベルの地上に現れ、陸地化したことになり、これ等縄文海退に伴う、高地部から低地部への地形変化が、この地域の弥生時代以降の生業と歴史変化にも符合しているように思えるのである。
尚、これ等、上の図で示したような考察は、中学地理レベルの地質学的な「縄文海進による溺れ谷とその後に起こる埋積谷の形成」論に基づくものであり、新しい発見ではない。
但し、浸食土砂による水域河床部に於ける沖積層の成長・堆積量は、現在の我々では想像を絶する高さ(量)である。
4. 一方、関東地区における「縄文海進による溺れ谷とその後に起こる 埋積谷の形成」が、1983年頃には、各地域の地質調査ボーリングデータに基づき、詳細に調査され下記図⑤の様な複数の「地質横断面図」で、分かりやすく解説されている。 また、小学校の授業でも、縄文海進・海退時の関東平野の変遷・形状について、教育がなされている模様である。
例えば、縄文海進時に形成された「古奥東京湾地域」のN-5断面地点(春日部:現SL約6m)及びA-5断面地点(南浦和:現SL約18-6m)で示された各々の沖積層基盤SLから、海進最盛期には各々約▲20mの水深であったと表示されている。
平坦低地の関東平野で荒川河口から各々の距離は、約40~50kmと、三国⇔鯖波間とほぼ同じ距離ではあるが、古荒川水系が、海進前には、広く深い河岸段丘を形成していた証でもあり、本件サバ読み考察の傍証にもなっている。
5. 鯖波峡湾は、縄文海進ピーク時前後の紀元前5千年前から3千年前の悠久の約2千年間は、奥行約12km、湾幅約1~2km、深さは最深部で40m前後の湾域を維持し、冬季には大時化する日本海沿岸と異なり、通年に渡り穏やかな内湾の峡湾であった。越前縄文人は、海と山の幸に恵まれ、外敵から身を守りやすい自然環境で、小規模な村落集団を作り小舟や漁網を操り、漁猟を生業とするに絶好の土地柄であったに違いない。
第Ⅰ話のプロローグで説明の通り、鯖波峡湾や鯖入江の周辺山岳地帯から注ぎ込むミネラル豊富な河川水は、海藻とプランクトンに稚魚を育み、それを捕食する鯖等の群れが日本海から古九頭竜湾・鯖入江を経由し鯖波峡湾にも回遊した筈。 越前縄文人は、そんな鯖の好漁場を特定して、「サバナミ」や「サバエ」と呼んだことが地名由来とする筆者のサバ読み仮説は、上記考察でも明らかなとおり、自然科学・地質学的観点からも充分成り立つのである。 以上
<第6話に続く> 泉州 閑爺
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