わずか3歳で亡くなったといわれる千鶴姫は春江町西長田で生まれたとされます。この地を治める5人の長のひとり、道麻呂の娘・琵琶女との子供とされ長田神社の長田池の水を産湯としたと伝わります。
そこから3キロほど離れた坂井町下兵庫にある大森円墳はこの千鶴姫が埋葬されているといわれています。現在は円墳の上に勇島神社が建てられています。
さて、この琵琶女の父とされる道麻呂。5人の長の一人と伝わっていることから西長田地区、下兵庫地区はこの5人の長が治めていたと考えられます。個人的な推測ですがこの琵琶女は下兵庫地区の出身ではないかと考えます。自分の娘を失ったときやはり母親の近くに埋葬するのは自然な流れだと思います。下兵庫地区の長・道麻呂の娘・琵琶女は継体天皇と西長田地区で過ごし千鶴姫を出産したと考えます。
しかし、下兵庫地区、西長田地区にはこれ以外に古墳らしきものがありません。それはこの道麻呂は当時の有力豪族の三国氏、三尾氏などの大きな勢力ではなくその配下に組している役人、又は地元をまとめる有力者であったため道麻呂をはじめ5人の長の情報が少なく古墳などがない可能性があります。
このとても気になる5人の長。古い話で情報があまりありませんが当時のこの地域の状況が少しですが想像できます。
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