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金沢駅周辺の神社探索!春に行われた「金沢七福参歩道」のまとめ 白鬚神社&長田菅原神社&安江八幡宮 Pt.2


金沢駅周辺の神社探索!金沢七福参歩道Pt2

春に行われた金沢七福参歩道神社深掘り!前回は春日系の神社を紹介したので、今回はそのほかの3社をご紹介&深堀していきます。

 

石川県金沢市本町 白鬚神社

金沢市本町の白鬚神社・貫禄のライオン像

今回の金沢七福参歩道一番不思議に思った白鬚神社。まず御祭神はスサノオサルタヒコじゃない。白鬚といえば髭の立派なサルタヒコを祀るのが一般的ですがスサノオを祀っています。社伝などどこを見ても牛頭天王の雰囲気も皆無。ちょっと不思議な感じです。


 永長元年(1096年)加賀国石川郡安江村に建立。真言宗持明院が別当として居住していたので白鬚持明院と呼ばれていた。明治に入り社地と寺地を分け、昭和49年に都市計画によって現在地に移る。もともと金沢駅前にあったので遷座し現在地に鎮座したとあります。現在でも結構、駅に近いのですがもしかして鼓門の辺りにあったのかな?



 そして狛犬がなくライオンが階段の横にいます。もともと金沢駅にあった白獅子に由来すると言われています。さらにGoogleマップや何年か前の写真を見ると立派な鳥居があったんですが参拝した時には鳥居がなく、あった礎石だけがありました。鳥居ほしいなー。


 不思議な神社なのですがあまり情報がありません。個人的に深掘りしたくなってきます。


 まずは別当の持明院。現在もあることがわかり山号が白髭山になっていて白髭山持明院が正式な名称です。山号を見るとこの白鬚神社との関係は間違いなさそうです。鬚の字が違いますけど許容範囲内です。この持明院は行ったことがないので詳細は分からないのですが蓮寺として有名で観光地になっていました。


 次にもともと鎮座していたといわれる金沢駅について調べてみると金沢駅のある場所は木ノ新保(きのしんぼ)町と呼ばれていているのですが、郷土史などで金沢駅ができる前の明治22年の話として木ノ新保村白鬚前と呼ばれている地域を木ノ新保町6番丁と改称したとあり51軒の民家があったとありました。これらの情報を見るとこの白鬚神社は現在の金沢駅の場所又はその周辺にあったことが分かります。そして木の新保村の守り神として鎮座していた。Google mapで金沢市木ノ新保町を検索すると金沢駅のみが出てきます。木ノ新保町の守り神として鎮座している白鬚神社。これは金沢駅の守り神と言ってもいいんじゃないでしょうか!ここまできたら駅構内に鎮座してもいいんじゃないかな~個人的な考えです。



さらにこの金沢駅の建設にあたり高田氏という方が土地取引にかかわっていたとあります。加賀藩士に高田氏はよく知られていて観光地として旧加賀藩士高田家跡は残っていますがこの辺で行き止まりになりました。狛ライオンについては推測ですが金沢駅は日清戦争での戦勝金で建設されたと言われています。その為、日本軍や戦争との関係があるのかなと思いますが詳細は不明。


 

石川県金沢市長田 長田菅原神社

加賀国の天満宮の古社・長田菅原神社・金沢市長田

金沢駅周辺に鎮座する菅原道真公を祀る神社加賀国は菅原道真を祀る神社がとても多いです。これは、加賀前田家は菅原道真の流れを汲む、または菅原系神社の神官を務めたなど話がありますが詳細は分かっていません。ただ、織田信長は剣神社の神官の流れ、徳川家康は加茂神社の神官の流れと言われていて前田家も何かしらの由緒が必要となった為、何かしらの関係があった菅原系の神社との関係を利用したのだと個人的には考えます。


 前田家の家紋と菅原系神社の神紋は同じ梅鉢紋。石川県では白山神社でも八幡神社でも梅鉢紋を使うことがあり47都道府県の中で梅鉢紋を使った神社は一番多いんじゃないかなと思います。


長和元年(1012年)創建と伝わる古社。一国一社天満宮を造立した時、加賀国では長田に造営。七堂伽藍が備わった広大な天満宮だった。天正5年(1577年)上杉謙信が松任城を攻めた時に兵火にあい焼失。元禄9年(1696年)小祠を造営し現在の地に再興。 金沢城下から宮腰港(現在の金石地区)を結ぶ宮腰往環の入り口にあたる村。現在は金沢有数の住宅地ですが江戸期は鷹場とされていて城下町側は弓組足軽の居住地で長田弓ノ町と呼ばれた。



 少し見えにくいですが本殿内部奥には梅鉢紋の紙が垂れ下がっています。社額は第24代総理大臣の加藤高明の力強い天満宮の文字があります。拝殿も朱色で、実は境内社に稲荷神社があってそちらも朱色。境内は朱色の建物が際立つ朱色に輝く神社と言えます。


 

石川県金沢市此花町 安江八幡宮

ひゃくまんさんのモデルとなった安江八幡宮・金沢市此花町

最後は安江八幡宮御祭神は応神天皇、神功皇后、タマヨリヒメなど。天慶2年(939年)創建。前田家当主が代々病気平癒の祈願として訪れた神社。


 石川県のゆるキャラのひゃくまんさんのモデルになった加賀八幡起上りがある神社で独特のだるま?のようなものが至る所にあります。


 安江と付く地名は金沢市には多く中世には安江保と呼ばれていた。もともと安江とは富樫氏の流れを汲む一族・安江氏が由来となっています。『源平盛衰記』には富樫家経の甥っ子に安江盛高の名前がありこの安江保を治めていたことが分かります。社伝にはこの安江盛高が安元2年(1176年)社殿を再興したと伝わっているのでそれ以前からこの安江八幡宮は存在していたことが分かり、天慶2年(939年)創建の話を信憑性が高いです。富樫家経も松任の若宮八幡宮を創建と伝わるのでこの時代の加賀国では富樫一族が治め、その中に安江氏が存在し共に八幡神を崇めていたことが分かります。


江戸期には刀鍛冶が住んだことから鍛冶八幡とも呼ばれ刀を境内で作ったと言われています。神前で刀に魂を込めて作っていることから江戸期でも深く民衆に愛された神社だったという事が分かります。




 境内にはいくつかの社がありますが一風変わった白鳥社。金沢市のお茶屋さんが京都に持っている茶畑を掘ったら出てきたといわれる大きな石像。もともとの大きな石に後からコンクリートのようなもので成形されているような気がする石像。刀のようなものをもっているのことから日本武尊として祀られていますが地元では「しらとりさん」と呼ばれています。稲荷神社も鎮座していて八幡起上がりと同じようにたくさん狐の置物がありました。金沢駅前ということもありきれいに整備された境内で観光にもいいのではないでしょうか?


 

 今回、金沢七福参歩道に参加して神社を巡り、そのあといろいろ深掘りしたことで金沢駅周辺の歴史が少しずつ見えてきました。藤原氏との深い関係金沢城にあった龍の彫刻八幡起上りなどなど金沢ならではの歴史に触れて以前より興味が出てきました。福井県と石川県は隣同士ですが江戸期には親藩松平家と最大級の外様大名という全然違う歴史を歩んでいます。その歴史の違いを感じることは文化の違いや県民性の違いなどを感じることができまだまだ深掘りしていきたいです!






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